明日の為に 03/10/09
最近、思うこと。やりたい事がいっぱいある。テニスもしたいし、早く研究とか一歩進んだフィールドを感じてみたいし。WebページについてだってJava scriptやC言語CGIとか齧ってみたいなぁとも思う。
でも、先ず第一に私は学生なんだよね。推薦で入ってきたし、手堅く成績を取って行こうと思うのがプライドとしてあるんだよね。で、それが自分の可能性(というか、新しいものへと向かわせるエネルギー)を確実に奪っていってるのも事実。で、やっぱりだるい。自分の「得意分野」の延長線上は全然負担にならないんだけど、新しい領域に踏み入れるのはかなりのエネルギーを使う。物理なんかは自分ではネガティヴに踏み入れなきゃいけないので尚更。でも、だからってここで終わるわけには行かないし、終わりたくない。今、自分が余剰(寧ろ捻出した)エネルギの全てをつぎ込んでるのが研究という分野というわけで。
もう少し物理とか数学とか化学とか生物とかしっかりやっておけば良かった。研究っていうものを実際にやっている方々をやっと前にし、「何がしたいのか」を正面切って言う事ができない。。。
1年生でそういう行動を起こすって、ある意味では飛躍だろうね。途中の様々な知識や方法論という数多くのステップを踏まないままで行くわけだからね。「いま」をしっかり足で踏み込んで、「つぎ」へと跳躍しなきゃいけない。そして、そう思ったとき私の脳裏に浮かぶのが、「果して、自分の"いま"という足場は丈夫か?」ということ。これを考えたとき、時に凄く不安になる。
幸い、今は教授の生態学の手伝いをしてるけど、私の目指す遺伝子工学という分野とは少し違う。「今 僕のいる場所」は「思ってたのと違う」けど、「間違いじゃない」し「きっと答えはひとつじゃない」。でも、この「答えはひとつじゃない」って言える核心はきっと「"いま"という足場が丈夫」であって始めて自信持って言えることだよね。じゃないと言い訳にしかならないし、一番辛いのは多分それを口にする自分自身。historyって言葉があるけど、この言葉について、ある先生がこう言っていた。「この単語の中に、ほら、"story"が入ってるでしょ?これはね、過ぎ去った時間の様々な断片に、それぞれの"物語"があって、それの積み重ねで"歴史"が出来ているんだよ。歴史はその時代に生きた人々の物語の積み重ねなんだ」って。これ、個人にも当てはまるよね。今を否定する事は自分の綴ってきた物語を否定する事かもしれないね。
ま、今は研究の立場にある人から励ましを貰ったり、実際、自分でもエネルギーをつぎ込んで頑張りたいという原動力は日々感じるし、今を否定する気は無い。すごく短い時間(Δt(笑))で見れば、自己嫌悪になったり、自分のやってきた事に後悔することもあるけどね。とにかく先ずは手探り、寧ろ手当たり次第の勢いで自分の出来る仕事を頑張ろうと思う。
これから、陽がどんどん短くなる。テニスが出来なくなる。この状況を逆手にとって、少しばかり自分の新しい分野の開拓を頑張ってみようと思う。行く行く"いま"が"これから"の足場になるんだから、しっかり築いていこう。
これが、私の現時点での野望(?)であり、明日の為にしたいこと。
情熱と挫折の狭間に 見えるのさ未来への架け橋
Tomorrow never knowsが原曲「未来への架け橋」だった頃の「心のまま僕は行くのさ 誰も知る事のない明日へ」の部分。実は凄く好きなフレーズだったりする。
そして、
Gamble on the present. What else can we do?(今この瞬間に賭ける。他に何が出来るというのか?)
これもある先生のメールマガジンに載っていた言葉。自分の中にその時からずっとずっとたくましく住み着いてる言葉なので、FORESTの名簿の座右の銘にも書いてしまった。
エネルギーって使い過ぎるとバテバテになっちゃうけど、毎日上手い事使ってると湧いて出てくるよね。不思議だね。今回はエネルギーを「いろんな経験を得る」為に使いすぎちゃって、睡眠時間が遅くなって、風邪ひきさんになってしまった。