やりかけの未来 03/10/21
ノートには 消し去れはしない
昨日がページを汚してても
まだ やりかけの未来がある
(蘇生/Mr.Children)
ねぇ、
やりかけの未来ってある?
最近そんな事を考える機会があった。
「やりかけ」。
明確な「何か」に向かってる状態が「やりかけ」だよね。それが信条であったり、目標であったり。でも既成のレールじゃない。自分が書き込んだ地図。
何か自分の到達点に向かって、地図広げて、ある程度ビジョンを持って、その遠いゴール見つめて、時に歩み止め、辺りを見渡し、今いる場所に自信もって。
自信がなくなって、不安になって、そんな時友達と話して。
私にはやりかけの未来があるけど、みんなはどうなんだろ?漠然と大学生をしている人が多い。そんな事を聞いた。
「推薦だから合格したけど、一般だったらお前分かんねぇぞ」
よく言われたセリフ。ごもっとも。言い返す術はないし。
でも、「一般だから受かったけど、推薦じゃ受からない」人もいるみたい。とにかく受験を全てだと思ってた人。きっと合格して、入学した喜びからふと我に返った時、すごい空虚感に襲われた人もいたんだろうな。殊に筑波なんて特殊な環境上、これから冬になると…。
なんかさ、否定されるのが怖くて、独りぼっちになるのが嫌で、考えや、振る舞い、そして服装や仕草までもが皆、同じになってる。そんな事をよく聞くよね。確かにそう思う。
やりたい事に向かうって、一歩踏み出すって凄くエネルギー使うと思う。誰かと「一緒に」目指せたらもっと簡単なんじゃないか。そんな考えも自然と湧いてくる。
本当に「同じ目的」を持っていたならそれも良いかも知れない。でも、もしも不安になって目標を変えて、みんなと足並みをそろえるようなことをするのはちょっと考え物だよね。楽っちゃ楽だし、楽しいけど。
君は君で 僕は僕 そんな当たり前のこと
何でこんなにも簡単に僕ら 失ってしまえるんだろう
ひとつにならなくてもいいよ
価値観も理念も宗教もさ
ひとつにならなくてもいいよ
認め合う事が出来るから
それで素晴らしい
(掌/Mr.Children)
答えはひとつじゃないし、向かうべき未来もひとつじゃない。きっと描いてく自画像だってひとつじゃないし、原色使って力強く描き殴りたい時もあるし、パステル使って優しくなりたい時もある。「じぶん」がひとつじゃないのに、仲間が目指すものがひとつのところにあるわけじゃない。いろんな人がいるからこそ、いろんな性格で、いろんな考え方してて、いろんな笑顔があって、だからこそ認め合えると思う。惹かれるんだと思う。
授業はつまらない事ばかりだけど、でも充実してる。そう私は今言える。いま、信じてる自分の未来に向かえてるから。こういう事を、もっともっと多くの人の口から聞きたいと思った。その人のやりかけの未来を。