生死を前に 04/02/23
可愛いって、すぐに殺せるってことだよね。
POST PETを一時期使っていた時のメール。設定では何通か送ったり、寿命が近付いたり、いろいろな状況によってペットからメールが届く。みたいな設定になっている。だいたいネガティヴなことが書かれていた。これもその一つ。
ふとしたことで思い出した。今日はネズミの解剖だった。
今まで小学生や中学生の時、手術の話や戦争中の話で倒れる事もしばしばあったので、本当に不安で、怖くて、これほど重たく感じた授業も無かった。で、結局他の人にやってもらっていた。
頚椎脱臼でネズミを殺す。安楽死になるように一思いに。でも、俺の班ではそれが上手く行かなかった。半分脱臼するに留まって前足は麻痺しているものの後ろ足がじたばたしているネズミ。2,3回かかってやっと殺した。
この死をどう受け止めるか?
避けては通れない事ならば、その死から出来るだけ多くの事を学ぶ他無い。発見に貪欲になるしかない。そういうことで俺らの班は意見が一致した。脳の解剖、内耳、肝臓・腎臓・心臓・肺・胃とその内容物・腸に至るまでその位置や形態を目に留めた。
これで自分の中で死を正当化したつもりだった。
片付けの際、新生仔をどうするか聞いた。
…首を切って、キムタオルに包んで袋に入れて
それが答えだった。耳にした瞬間、背筋が凍って足先から頭の先までピンとなったまま一瞬固まってしまった。
俺が前から持ってきたわけで、俺がやらなきゃいけない。さっきまでみんなで「可愛いね」って観察していたのに。
親が解剖により死んでしまったので、この仔が生きていくことは出来ない。でも、今まさに生を灯している一つの哺乳動物の命を断つということを不意に任せられ、手袋をし、はさみを持つ自分。今やろうとしている事は、俺が新生仔を用意しなければもう少し生きられたし、俺らがその死を目にしなくても良かったのに。この仔からは殺さずして学ぶ事が多いと思って…。相当混乱していた。
「これは断頭って言って・・・一思いに切ってあげなさい」
そのTAの言葉がかかった時、突然ネズミの首がしっかりとはさみの間に来た。まだ目も見えないネズミの仔。首の薄い皮膚を通して二つの冷たい刃を感じているのだろう。悟ったかのようにおとなしくなる。
この瞬間、はさみを入れた。ネズミの仔はあまりにも幼く、本当に手応えが無いほどにあっけなく首が落ちた。
その瞬間、ネズミの四肢がびくっと動き、キムタオルの上に置くと、赤々とした血が、首からどっと溢れてきた。手応えは無かったけど、その光景、この経験は、心の中には手応えという形容ではどうしようもないほど大きなものだった。
先生に
「お前良く殺せたな。ああ言われた時、戸惑っただろ?」と聞かれた。おそらく指示を聞いたとき、表情の変化とかが相当あったのであろう。
「まぁ、親が死んでしまったし、生きていけない個体だ。いずれ死んでしまう事は変わりない。だったら自分らの体験のための死になった方が意味深い」
そう言われた。もう、平静を保つのに必死で、口が全く動かなかった。
この生物学実験、これが最後の実験であったことは、これからを考えてとても意味を成すのかもしれない。この安楽死が日常的に、ルーチンとして行われている研究もあるだろう。実際、俺が今行っている研究室も、微生物という、一個一個は目に見えないものを常に殺している訳である。
死に、慣れたくないと思う。何も感じない人間にはなりたくないと思った。
失って大切さが分かるものがある。
失う瞬間に立って、その重さに気付くものがある。
死というその個体が営む一生に一度の振る舞いによって、今回はそれを実感できた。これから出来る事は、この実感を忘れない事だ。
花 Mement-Mori(死を想え)
負けないように 枯れないように
笑って咲く 花になろう
ふと自分に 迷う時は
風を集めて 空に放つよ
ラララ…
心の中に永遠なる花を咲かそう